キタキュウ映えスポット SPECIAL EDITION

クラウン(スポーツ)×中村 道大郎
2023.11

北九州下関フェニックス中村道大郎とめぐる北九州思い出の地
北九州市小倉南区出身、北九州下関フェニックス内野手でキャプテンの中村道大郎選手。今年は九州アジアリーグで、一塁手としてベストナインを受賞しました。
就職を機に一度は野球から離れましたが、その後、再び野球の道を歩み始めます。2022年には福岡北九州フェニックス(現 北九州下関フェニックス)に加入し、12年ぶりに北九州に帰ってきました。
新型クラウン(スポーツ)で中村選手の思い出の地を訪ね、「中村道大郎」に迫ります。

▲北九州市民球場

苦い思い出も、嬉しい思い出も、この球場に
北九州市民球場
大規模改修の後、1989(平成元)年に球場名を「小倉市営野球場(通称小倉球場)」から「北九州市民球場」に改称。北九州下関フェニックスは、2023年度に12試合をこの球場で開催しました。
ホーム試合を行うこの球場を中村選手はどのように思っているのでしょうか。
ーやっぱり気合が入ります!今年は勝率が高かったですし、フェニックスの選手はみんな良いイメージを持っていますね。
快活な声。明るくて、パワフル。そのキャラクターで周囲を瞬時に和ませる。そんな印象の中村選手です。

ーそして、高校球児からすると市民球場は特別なんです。
地元ならではのエピソードを聞かせてくれます。
ー公式戦はいつも市民球場。高校三年生の夏の大会は、市民球場で逆転サヨナラ負けをしました。でも、フェニックスが創設初勝利をしたのも市民球場。苦い思い出も嬉しい思い出もこの球場にありますね。幼い頃からプロ野球の試合があれば見に来ていましたし、市民球場に育ててもらった...と言うと大げさですが、この辺では一番思い入れのある球場です。
中村選手のそんな思いに寄り添うように、クラウン(スポーツ)のエモーショナルレッドが球場をバックに、圧倒的な美しさを静かに放っています。

地元に貢献出来るって勇気をもらえる
足立公園展望広場
その眺望は小倉の市街地を手前に、メディアドームやリーガロイヤルホテル小倉、皿倉山など「北九州市」を象徴するスポットが一堂に会し、北九州市民球場も望むことが出来ます。
生まれ育った街に戻り、改めてその街を俯瞰する感想を尋ねてみます。
ー大都市のイメージがありますが、こうして眺めると果てしないわけじゃないんですよね。この眺めの範囲だったら、私でも何かやれるんじゃないかって思えるんです。

野球の範疇にとどまらない大きな思いを語り始めます。
ー私の父親は皿倉山頂からの夜景を見て、電気の需要はこれほどあるんだ!と電気店を始めました。父親がこの北九州の景色を見て自分の人生を決めたように、私はスポーツで、この街に貢献していこうと思っています。私の人生を掛ければ、この街のために、スポーツの力で、何か出来るんじゃないかって勇気をもらえる眺めです。
北九州市街の眺めを背景に、クラウン(スポーツ)が体現する躍動感は、中村選手のワクワクするような、自分への期待感と重なります。



小学生の時から必勝祈願は妙見宮
足立山 妙見宮
足の神様として古来より信仰があり、その由来は、奈良時代から平安時代に活躍した和気清麻呂公まで遡ります。わらじを供えて願掛けをするスタイルが独特です。
小学生の時から必勝祈願は妙見宮で、月に1度は必ずお参りに来るそうです。
ー足の肉離れを起こすと、その時はすぐにお願いに来ます。
ファンを魅了し、チームを鼓舞するバイタリティ溢れるキャプテンでも、そのパフォーマンスを維持するための苦労がたくさんあるのでしょうか。

ー大学卒業後に就職した会社を辞めた後、25歳で独立リーグに入団してからは怪我が増えました。復帰の際、急ピッチで体を作ったので、すぐに肉離れをしてしまい、以来、両足毎年1回はやるんです。
肉離れとは、すぐ治るもの?
ーいろんな人に治療してもらいながら、急ピッチでも2週間はかかります。今年は最小限で治りましたが、1ヶ月やそこら掛かっていたら、特に私たちのチームはレギュラーが危ないからですね。もちろんお参りにはすぐに来ました 。
それにしても、わらじの願掛けは初めてだそうです。これをしないからいけなかったかもと入念にお参りします。


監督の言葉「ピンチはチャンス」を信じて
守恒中学校
最後は母校である守恒中学校へ。小倉南区葉山の眺めの良い高台にあります。
ー外部コーチのお二人がとにかく厳しくて、無茶苦茶練習しましたね。本当にキツかったです。怖いし(笑)。おかげで、最後の夏の大会も含め、県大会で2回優勝、九州3位にまでなれました。それに、人としてのことも含め、私の基礎になる部分を全て教えていただきました。
守恒中学校で、中村選手の人生は大きく変わったそうです。
ー県大会優勝を目標に必死にがんばった仲間との絆は、今でも強く感じています。私が野球を辞めて、会社も辞めて、何をしようかっていう時に、「野球をやれ」って言ったのが、その時の仲間でした。「おまえ野球でやらんとダメやないか」って。「野球しかないやろ」って。試合で私の横断幕をサプライズで掲げてくれた時も本当に嬉しかった。そういう友達にも巡り会えました。

当時のコーチやチームメイトが今日は集まってくれています。コーチのエピソードは中村選手らしいものです。
ーキャプテンで、チームを良くまとめていました。見ての通りのムードメーカー。最後の夏の大会では、監督がどうしても来られない試合も自分たちでサインを出して勝ち進み、そのまま県大会、九州大会へと行きましたよ。
野球が好き過ぎて抱え込むこともあったと話してくれたのは、一緒にがんばり、そして、再び野球の道へと中村選手の背中を押した仲間です。
ー野球に対してはすごく真面目でした。授業中はいつも一緒に遊んでましたけど(笑)、練習...野球になると人が変わる。授業中の感覚のままグラウンドに行くと、ギャップがすごかったですね。

▲階段上からコーチが「その辺からでいいんじゃなーい(笑)?」段数は減らしてもらいましたが、当時と一緒の練習風景だそう

展望台での中村選手の大きな思い。地元に帰って、何か出来ることはないかと一生懸命探してるんでしょうとコーチは言います。仲間も日頃からその思いには触れていたそうです。
ーそういう思いが強くなったのは北九州に帰ってきてからだと思います。プライベートでも地元を良くしたいって熱く語っています。恩返ししたいって。
当時は60人近くだった野球部員も今は少なく、他の中学校と合同でチームを作らなければなりません。そんな部員の子たちに向け、放課後、中村選手は当時の監督の言葉を用いて語り、その思いを繋ぎます。
ー守恒中学校として試合に出られないことは残念だと思います。でも、他の学校の子とチームを組んで勝利を目指すという経験は、私たちが出来なかったことであり、それは皆さんの今後の人生にとっては絶対にチャンスだと思います。私たちは当時の監督の言葉「ピンチはチャンス」を信じて勝ち進むことが出来ました。皆さんもこの状況をチャンスにして、どうぞがんばってください。

「ピンチはチャンス」。中村選手は、これまでもこの言葉をきっと何度も思い出して、信じて努力を続けてきたのではないでしょうか。
ー私は守恒中学校の看板を背負って、1年でも長くプレーをし、皆さんのかっこいい先輩として誇ってもらえるようにがんばります。皆さんは私が母校として誇れるよう、切磋琢磨してがんばってください。
揺るぎない野球への思いは中学校で醸成され、中村選手の基盤となりました。そして、先を見据え、自分を進化させていく...変わるもの、変わらないもの、クラウン(スポーツ)のように、どんな「新しいカタチ」の中村選手がこれから見られるでしょうか。
最後に改めて聞きます。中村選手、北九州に戻ってきて良かったですか?
ー良かったです。そして、野球を続けていて良かった。続けていなかったら、北九州にはきっと帰って来られてないですから。
※関係各所に申請を行い、許可を得て撮影しています。

▼今回のドライブルート ※撮影のための特別試乗コースとなっています。

今回の撮影に使用した車両:クラウン(スポーツ)
グレード:SPORT Z
ボディカラー:エモーショナルレッドIII(3U9)
新しいカタチのSUVとして、感性に響く「美しいデザイン」と「楽しい走り」を追及した新型クラウンシリーズの第2弾であるクラウン(スポーツ)。新時代クラウンのデザイン思想「シンプル」を基盤に、圧倒的な美しさと「スポーツ」を冠するSUVに相応しい躍動感を合わせ持ちます。
ボディカラー:エモーショナルレッドIII(3U9)
新しいカタチのSUVとして、感性に響く「美しいデザイン」と「楽しい走り」を追及した新型クラウンシリーズの第2弾であるクラウン(スポーツ)。新時代クラウンのデザイン思想「シンプル」を基盤に、圧倒的な美しさと「スポーツ」を冠するSUVに相応しい躍動感を合わせ持ちます。
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